2023.0430-0501
2023.0430
親知らずを抜歯すると、とても良いことがあったので、約1週間ぶりに飲酒。(抜歯後はダメと言われたが、ダメなことに飛び込む悪い癖が出た。)最寄りは飲み屋など一切ないので、4駅ほど先の下町へ行き、ふらっと入ったバーで思い出のアランを飲みながらボーッとしてみたが、2016年秋の絶望の時の味わいには到底敵わなかった。期待するから、期待の範囲が大きいからアルコールという不確定要素にかけるのだ。(そして大抵は絶望にいたる) 期待の範囲や射程が変わればアルコールにかけて跳ね返ってくるものも変わる。当時の俺のような絶望愛好家たちにとってはアルコールは体に取り込める聖書のようなものなわけだが、いまのおれはしばらくまた少し距離を置いても大丈夫なのかもしれない?
2023.0501
あっという間に5月になってしまった。ゆったりと鼻腔に流れる新緑の匂いに誘われて、夜ふらふらと近所を歩いてみた。赴任してきてからどこか既視感があるような気がしてやまない景色だったのだが、本日歩きながら重ねた先が高校2年の頃に一人暮らしをしていた仙台市泉区永和台だ!と気がついた。坂と緑とアスファルトの多いニュータウン特有のあたりを見回しながら、坂道ダッシュをさせられていたサッカー部時代(2軍)を思い返す。高校2年の夏に部活を辞めて引きこもり始めた俺に、もう一度会いたい。(夕方起きて深夜に一人で散歩して、ローソンの前でマックスコーヒー飲んでたよな、お前。)
2023.0424-0429
2023.0424
新幹線に乗り過ごした俺は半休を取得してしまった。
新幹線に対する乗り過ごしのハードルが低くなったのはいつからだろうか。
思い返してみると2018年あたりからで、不遇の時期スタートとセットになっていることから、ゆるやかな絶望との邂逅を図る時間になっていて、おれは無力感に触れたい時にこうした行いをしているのだと気づく。
夜は姫路のアートプロジェクト立ち上げを目論む会にお邪魔させていただいたが、みな、おれなぞよりもアートや美術を大切にしていて感動しつつもたじろいでしまった。
俺が大切にしているものはなんなんだろう。
2024.0425
わたしは詩の朗読をすることがあまり好きではない。(聞くのは好きだが)
なぜなら自分の声があまりに自分のイメージと一致していないからだ。
これに気がついたのはバンドをしていたときにはじめて自分の声を録音した時だった。(2007年の9月だったとおもうがそれからバンドは続けるもののレコーディングのたびに憂鬱だった。)
夜更けにふと詩が降りてきてぽつぽつと拾ううちに気がついたら声を出していた。
試しに譜割を調整するように何度も録音してみたが、ようやく自分の声とのズレや距離が見えたような気がした。(この時、とても心地よかったが同時にこの世界にいることに辟易もした。)
2023.0426
こころを保つためにはほんの少しでいいから今から離れるレッスンが必要だ。レッスンを怠ると、誰かのせいにしてしまう。誰かのせいにするのは容易だ。ちいさなドラッグはいたるところにあり、それらはつまり習慣といえる。晴れた帰り道の阪急梅田行きの快速はとても心地がよい。
2023.0427
実は火曜日から酒を飲んでいない。これはおれにとっては革命的な事態。離脱症状に打ち勝っているのが不思議である。このまま辞めるべきなのか?(錯乱状態で恋愛占いに手を出す始末)そのためには、あらゆる人々におれとの打ち合わせの日程をできる限り詰め込んでもらう必要がある。(オンライン可)
2023.0428
おれはポエム画像が好きだった。(というか今もセンター問い合わせ文化並に好き) ポエム画像とは一期一会やズッ友のようなものである。しかしながらこれらの出自は不明だったので調べてみるとシリーズのムック本があったので発注してみた。研究の手掛かりになりそうな気がしている。諸君、ポエム(笑)といって、馬鹿にしないでいただきたい!
2023.0429
インタビューの授業ではじめて学生を乗せて運転した。これまで一人乗りのモビリティでのリサーチばかり、つまり孤独なリサーチばかりだったので、感慨深かった。
インタビュー先は自由でファンキーな集団かつフリーアクセスな場所で心地よかった。(先生にみえないと無限回いわれて嬉し恥ずかし)
帰り道の高速がなんだか人生の比喩のように感じて考え込んでしまった。俺はこれまでずっと下道ばかりを走ってきたからだ。
2023.0422-0423
2023.0422
プロジェクトの合宿、半ばであるが良い時間だ。(非常に酔っ払って書いた文を修正。)
ひとりぼっち万歳政権が与党だったので、合宿は学部以降避け続けていた。(正直に話せば、万歳せざるを得なかっただけの人間性であった。)
共食などもそうだが、何かしらの時間をつくりあげていくことは重要だと改めて思う。(ポエジーがあるし。)
江の島国際芸術祭はなんだか良い意味でくやしかったし、オッパーラは最高だった。
誰にも言わなかった展覧会テーマ案にリスクの処方箋というものがあったのだが、そんなものは必要なく、リスクを背負い続けていきたい。(最終的に潰れたら、おれをリスクせんべいとして販売していただきたい。)
2023.0423
つらいつらいつらいつらい、感傷に浸ってしまっている!
過去の話がたくさん出てくる時間があると、全く関係のない当時の自分をも振り返る機会になってしまう性質なのだが、さてどうしたら良いものか。
おれは過剰ポエジーにとりこまれてしまう、ポエジー神経症患者。
つらかったものほど美しく迫ってくる...いまは2012年7月のある河辺。
やめてくれ俺の脳内回路、家に帰れないじゃないか!
2023.0420-0421
2023.0420
勤務先の大学にもピに車で送ってもらう存在を発見して歓喜。
2016年江古田にいた頃にはよくそうした光景を目にして行き場のない感情が湧いたりした。
プラクティスの必要が無くなったのに、しがんでしまうものやふと繰り返し思い返してしまうことが多い。
リスクの誘惑の残り香といえばよいのか、そんな不毛に思えるオーバーラップが、人よりも多い気がする。
今日だけは傷をつけても良いという逃げ道は、どこまで続いてしまうのだろうか。(目が覚めたら傷だらけで、旅館に泊まっていたが、ここには以前にも来たことがある気がする。)
2023.0421
今日からプロジェクトの合宿なるもので江ノ島に行く。
中央大学に通っていた友人と、よく上京してから2012-2014年あたりの辛い時(学部時代は基本ずっと辛い)に行っていた記憶を思い返す。(チルい関係?"語りっち"は死語?)
準備や雑務諸々を済ませると、あっという間に昼過ぎだ。
関西圏は昼間からやっている飲み屋が多い印象を感じながら、風切りセンター街。
昨日とは違う体で、今日もぼくは歩く。(きっと君も、日々脱皮と擬態の繰り返し。)
2023.0418-0419
2023.0418
現在わたしは博士後期課程に在籍しており、今年度で4年目である。
別の領域へのシフトチェンジであったため入学した2020年度からこれまではひたすらに足りない業績を埋めるように活動していた。
平たく言えばビジュアルデータでの他者の観察を通じた詩作なのだが(全く平たくなくて恥ずかしい)、最近になってようやく自分自身に働く自意識が原因ないしキーワードになるべきなのではないか、と考えるようになっている。
なぜなら他者への圧倒的な関心や共感ないし共鳴は、自分自身の過剰さによって成り立っているのではないか、と仮説を立てる必要を感じたからだ。
二つのかけ離れたように見えるものを繋ぐものを物質としていたが、ひょっとしたら身体性なのかもしれない。(などと研究ノートにまだまとめきれない部分を、大学コーヒーを飲みながら最近は日々考えている。)
2023.0419
ぼくは先生/先人らしく振る舞うことがあまり好きではないため、しばしば突っかかられたりするが、あまり気に留めたことがない。
自分が積極的な行為者の時には、注目ないし注意を向けてもらいたいとは思うものの、基本は聞き側にいることが基本だ。(相手の気持ちをわかるためにはじめたが、結局は自意識過剰な共感に過ぎない気も最近はしている。)
自意識はどこからきている?と思案しながら、またも小さな逸脱の夜。
ぼくが先生になったから話しかけ、ぼくが大股であるくとキャバクラのキャッチにあい、ぼくが対局に擬態すると見知らぬ中年に金銭交渉をされる。(はじめからある人の中の絡まりを見抜けるようになりたい。)
おれはキングはもちろんクイーンにもなれないのだと、すれ違う銀色のミュールに2012年の君を透過しながら反芻した。(目を閉じるとたくさんのRGBのかけらがやってくる。)
2023.4.17
人生は運が7割ということばがあるが、俺はあまり信用できない時がこれまでの経験から導くと圧倒的に多い。
過信しているわけではないが、ひたすらに気を使い続けた(続けている)自覚があるからだ。(この自覚に苛まれるたび、2005年の中一の頃に区の選抜になりかけた時の周囲のやっかみを始まりに思い返す。)
もちろん賭け続けた分、運が回ってくるという事実もよくわかるし、それが正しい解釈と思う一方で、小さくもどこか過激なこの自意識を力に変える友人としてとても大切にしたいと思ってしまう。
いまだ運が回ってこない人へ、俺と俺の友人と、そして君の友人と一緒に賭け続けようではないか。
個々人の充足に向き合うのであれば、そこにはパイの奪い合いはなく、いつか終わるサイクルが待っている。(負けるな、草の根の戦士たち。)
2023.0414-0416
2023.0414
4月から本格的に茨城でのプロジェクトを動かす必要がある中で、茨城行きの飛行機がある空港のある神戸に住めるようになったことは奇跡的なことのように思う。
2020年までは東北関東圏での生活・活動が長かったので新幹線シンパであったが、これからは飛行機シンパになるかもしれない。
水戸駅近くのホテルに前乗りし、ホテル近くの居酒屋に入ると、トレーニング中らしいアルバイトスタッフの素晴らしくマニュアル的な接客をしてもらい、ちょっと緊張した。(彼女のアルバイト・ライフを勝手にすごく応援している。)
オーナーは地域リーグに参戦するアメフトのチームをやっているらしく、マネジメントや広報の難しさを呟くように話してくれた。
あらゆることは力に評価されてから、見方が変わるもの?始めたてやランディング中の話をもっと聞いて信じてあげてみたら良いのに、報われた方がなんだか寂しい気がする。
2023.0415
引き受けているプロジェクトのフィールド紹介などのため、ひたちなか市那珂湊へ。2年前のキュレーション以来の来訪となったが、すっかりもう懐かしい。いくつかの大きな再会をできることが嬉しい。(2019年に関わってから5年目だが、当時は副手+非常勤といういま以上にストラグル・ライフだった。)
少しずつなくなってしまっていく風景の中で、これからどのように立ちあっていくべきか考えながら酩酊。既存のベースを守りつつ、あたらしい提案を実現させていくことが自分の役目だと思う一方、その難しさが少しずつ自分に近寄ってきていると感じる。
2023.0416
二日酔いの昼過ぎは、水中にいるような重さと反響のうちを感じ、自分で思い通りに動かせる範囲が実はそう大きくない気持ちになる。(2017年あたりは浮かぶことすらできず、もはや溺れてしまっていた。)
昨日に引き続き、那珂湊で挨拶回りをしていたが、観光地特有の週末の慌しさにつられるように、あっという間に帰らなければいけない時間になっていた。
ローカル線からJRと電車を乗り継ぎ、県バスに乗る。茨城空港行きの車両は途中から、ぼくだけが乗車員になった。人々と景色が入れ替わっていく様子を、ぼくはいつも黙って見る立場にいるような気がする。(いまは、帰りの飛行機が遅延する様子をぼんやりと眺めている。)