2023.0509-0510
2023.0509
つまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれが。支配されていた方が楽勝!(身代わりになる方が楽勝?)おれがつまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれがつまらないと思ってるおれがつまらない。この急な凹凸の到来が17歳から治らない。(保健室の香りがベランダからやってくる)
2023.0510
俺の身体はいま、ドンキホーテに売っているものでほぼ構成されている。冷蔵庫がないので乾燥麺をゆで、干し椎茸と乾燥わかめと麩を水に戻して生きている。あとはオニオンスープかポタージュを飲んで眠るわけだが、いまドンキホーテがなくなってしまったら、おしまいだ。こうした存在がふとなくなった時、みんなはどうしてるんだ。2014年夏、俺は伊豆熱川の岩場から飛び込んだ。(昨日、採血をされてからバランスがとれなくなっているため、いまのおれはまじオワコン)
2023.0504-0508
2023.0504
山籠りから下山。最寄駅は夜中に帰ってくると飲めるところが笑笑くらいしかない。笑笑に最後に行ったのは多分2015年だった気がする。(いや、坐・和民だったか?あのころ最も仲がよく坐・和民を「ザワタ」と略していたひとつ年上の友人とはもう連絡がとれない、というかブロックされている、みたい、だ。)さておき、いつからカッコつけた飲み屋にいくようになったんだろう、話したい人がいればどこだっていいはずなのに…白木屋のコピペを思い出してしまう。俺は話したい人がいる場所ならどこだっていいのに、話したい人にずっと会えないままどんどんひとりぼっちになって、毎年違う夜の町をあてもなく歩いている。
2023.0505
コンカフェは現代のサロン。文豪になるためにはわたしは彼女たちが立ち尽くしているカウンター下には一度身を隠させてもらう必要がある。が、そんな状況は当然ない。大人しくチェキを撮ることで終了せざるを得ない。天才は自分を天才とは言わない。(自信がなくなった2009年から心の中で自称し続けているが、きみはこれからどうするんだい?)
2023.0506
授業内でカードやボードゲームをプレイして宣伝するというものがあり、ひたすら午前中はプレイをした。友達になるための方法としてカードやボードゲームは素晴らしい。(小学校5年の時、おれはデュエル王だった) 参加者がみんなルールをわかっていなければ尚更良い。ローカルルールをつくって戦え!そして「しばり」のように…舞って。
2023.0507
プロポーザルの締切である。俺は賞レースキングダム/クイーンダムを駆け上がるために、これまでの2017年4月からの6年間の下積みのほとんどをプロポーザル磨きにかけてきた。そして7年目の今宵はネクストステージに上がるための瀬戸際。3年前に落ちたフラッシュバックなど置いてけぼりにしてやるぜ。そろそろ俺を天に連れてってくれ、野生のポエムたちよ。
2023.0508
おれだって自分の美しさだけで生命を維持したい。加工だってしたいし、裏ピもしたい。そして何よりあって騙されたと言われたい。(それだけ期待をしたいし、されたいおれは気体になりたい) 西日の中を駆け足ですすむ女性の影の中にたぬきがみえた。おれも掲示板で雑談したい。(3年ぶりの不正脈のため一回休み)
2023.0502-0503
2023.0502
我が身体はあらゆる悩みのカスタマーセンター、ゴールデンウィークも担当できちゃう。そして都市部から中山間地域はじめどこまでも保証範囲対象なんだから驚き。もうワンステップ行かないと優しい保険屋のままなわけですが、それもあり?閉まりかけた阪急電車に駆け足で向かい、ジャンプして飛び乗ったとおもえば気がつくと車の中。今日から山籠り。(I'm lovin’ it!)
2023.0503
来年関西圏のある山奥で開催する某アートプロジェクトのディレクター業務のため、朝イチから展示候補場所の囲いをさがしつくる作業。ほかイベントやデンジャーにバッティングしないように隙間を探す旅。さまざまな制限やルールがあるなかで、逸脱ばかりが目を引くわけではないことに気がつき考えなおす時間。(とても心地よい風が流れる、魂を擬態させろ!) 小さい積み木から始めてみている。
2023.0430-0501
2023.0430
親知らずを抜歯すると、とても良いことがあったので、約1週間ぶりに飲酒。(抜歯後はダメと言われたが、ダメなことに飛び込む悪い癖が出た。)最寄りは飲み屋など一切ないので、4駅ほど先の下町へ行き、ふらっと入ったバーで思い出のアランを飲みながらボーッとしてみたが、2016年秋の絶望の時の味わいには到底敵わなかった。期待するから、期待の範囲が大きいからアルコールという不確定要素にかけるのだ。(そして大抵は絶望にいたる) 期待の範囲や射程が変わればアルコールにかけて跳ね返ってくるものも変わる。当時の俺のような絶望愛好家たちにとってはアルコールは体に取り込める聖書のようなものなわけだが、いまのおれはしばらくまた少し距離を置いても大丈夫なのかもしれない?
2023.0501
あっという間に5月になってしまった。ゆったりと鼻腔に流れる新緑の匂いに誘われて、夜ふらふらと近所を歩いてみた。赴任してきてからどこか既視感があるような気がしてやまない景色だったのだが、本日歩きながら重ねた先が高校2年の頃に一人暮らしをしていた仙台市泉区永和台だ!と気がついた。坂と緑とアスファルトの多いニュータウン特有のあたりを見回しながら、坂道ダッシュをさせられていたサッカー部時代(2軍)を思い返す。高校2年の夏に部活を辞めて引きこもり始めた俺に、もう一度会いたい。(夕方起きて深夜に一人で散歩して、ローソンの前でマックスコーヒー飲んでたよな、お前。)
2023.0424-0429
2023.0424
新幹線に乗り過ごした俺は半休を取得してしまった。
新幹線に対する乗り過ごしのハードルが低くなったのはいつからだろうか。
思い返してみると2018年あたりからで、不遇の時期スタートとセットになっていることから、ゆるやかな絶望との邂逅を図る時間になっていて、おれは無力感に触れたい時にこうした行いをしているのだと気づく。
夜は姫路のアートプロジェクト立ち上げを目論む会にお邪魔させていただいたが、みな、おれなぞよりもアートや美術を大切にしていて感動しつつもたじろいでしまった。
俺が大切にしているものはなんなんだろう。
2024.0425
わたしは詩の朗読をすることがあまり好きではない。(聞くのは好きだが)
なぜなら自分の声があまりに自分のイメージと一致していないからだ。
これに気がついたのはバンドをしていたときにはじめて自分の声を録音した時だった。(2007年の9月だったとおもうがそれからバンドは続けるもののレコーディングのたびに憂鬱だった。)
夜更けにふと詩が降りてきてぽつぽつと拾ううちに気がついたら声を出していた。
試しに譜割を調整するように何度も録音してみたが、ようやく自分の声とのズレや距離が見えたような気がした。(この時、とても心地よかったが同時にこの世界にいることに辟易もした。)
2023.0426
こころを保つためにはほんの少しでいいから今から離れるレッスンが必要だ。レッスンを怠ると、誰かのせいにしてしまう。誰かのせいにするのは容易だ。ちいさなドラッグはいたるところにあり、それらはつまり習慣といえる。晴れた帰り道の阪急梅田行きの快速はとても心地がよい。
2023.0427
実は火曜日から酒を飲んでいない。これはおれにとっては革命的な事態。離脱症状に打ち勝っているのが不思議である。このまま辞めるべきなのか?(錯乱状態で恋愛占いに手を出す始末)そのためには、あらゆる人々におれとの打ち合わせの日程をできる限り詰め込んでもらう必要がある。(オンライン可)
2023.0428
おれはポエム画像が好きだった。(というか今もセンター問い合わせ文化並に好き) ポエム画像とは一期一会やズッ友のようなものである。しかしながらこれらの出自は不明だったので調べてみるとシリーズのムック本があったので発注してみた。研究の手掛かりになりそうな気がしている。諸君、ポエム(笑)といって、馬鹿にしないでいただきたい!
2023.0429
インタビューの授業ではじめて学生を乗せて運転した。これまで一人乗りのモビリティでのリサーチばかり、つまり孤独なリサーチばかりだったので、感慨深かった。
インタビュー先は自由でファンキーな集団かつフリーアクセスな場所で心地よかった。(先生にみえないと無限回いわれて嬉し恥ずかし)
帰り道の高速がなんだか人生の比喩のように感じて考え込んでしまった。俺はこれまでずっと下道ばかりを走ってきたからだ。
2023.0422-0423
2023.0422
プロジェクトの合宿、半ばであるが良い時間だ。(非常に酔っ払って書いた文を修正。)
ひとりぼっち万歳政権が与党だったので、合宿は学部以降避け続けていた。(正直に話せば、万歳せざるを得なかっただけの人間性であった。)
共食などもそうだが、何かしらの時間をつくりあげていくことは重要だと改めて思う。(ポエジーがあるし。)
江の島国際芸術祭はなんだか良い意味でくやしかったし、オッパーラは最高だった。
誰にも言わなかった展覧会テーマ案にリスクの処方箋というものがあったのだが、そんなものは必要なく、リスクを背負い続けていきたい。(最終的に潰れたら、おれをリスクせんべいとして販売していただきたい。)
2023.0423
つらいつらいつらいつらい、感傷に浸ってしまっている!
過去の話がたくさん出てくる時間があると、全く関係のない当時の自分をも振り返る機会になってしまう性質なのだが、さてどうしたら良いものか。
おれは過剰ポエジーにとりこまれてしまう、ポエジー神経症患者。
つらかったものほど美しく迫ってくる...いまは2012年7月のある河辺。
やめてくれ俺の脳内回路、家に帰れないじゃないか!