センチメンタル交信

ひとりぼっちのビジュアル・リサーチ

2023.0512-0515

2023.0512

喪失の隅で頬杖をつきながら窓の外を見る。休み時間の喪失は騒がしく、ヘッドホンで耳を塞ぐ。日直がきみとであったらよかったけれどそうもうまくはいかないので、一人で日誌を書いてみる。立て付けの悪い扉がひらき、通り雨が止んだように喪失が鎮まる。2014年に帰りたいので、たくさんの(それはたくさんの)アルコールに浸かる。

 

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2023.0513

恋のレッスンを2012年5月ぶりに受けた。ドキドキは嘘つきである。別の世界線で出会いたい人が多すぎる。いつまで俺は周回遅れなんだ。レースを辞めないでいたら気がつけば周りからは先頭にみられるときがある。(実情はただ、足が遅くて諦めが悪いだけなのに、気がつくと前には誰もいない。) 

 

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2023.0514

恋のレッスンの2回目を受けた。帰り道、思い出の整理を文学のレッスンとしていた時期があったことをふと回想。その時期の拠り所は、ある辛い事象が連続的にあった頃に母が全部思い出になるからね、と俯きながら話していた2007年にある。私はいまだ文学をひとつも成し遂げられていない。恋のレッスンにも文学のレッスンにも補講はなく、劣等生にとっては致命的な事態が続いている。

 

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2023.0515

おれは自称しゃべれるタイプの潤滑油系コミュ障なのだが、これはハイパー陽キャとウルトラ陰キャ時代がハイブリッドで存在していることに起因する。小中学生時は1.5軍、高校で一気に軍外の引きこもりになり、大学・大学院時代で異化したという流れだ。このため飲み会をはじめとするパーチィでスムーズに盛り上げて話すことができるが、帰り道がいつも背中がどんどん丸くなって視界がぼやけてしまう。例の如くまたもや自宅の近所で悲しみに溺れてしまい、見知らぬ男性に介助されて目が覚めた。(この国も捨てたものではないが、そんなことよりも吐き気が止まないことに怯えている)

 

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